関東大震災が起った翌年の1924年 私の祖父 、丹羽善吉は前途多難な時代に自分の名前の一字をとって「丸善商店」という個人商を始めました。昭和24年(1949年)一念発起し、当時、名古屋の特産品であった安全ピンの製造に着手し、弊社の前身である「丸善安全ピン製作所」を設立しました。
当初、手づくりで社員も数名のため、大量生産が大変難しく、形が揃わず、不良品の山を前に途方に暮れる毎日だったそうです。
そんな祖父の背中を見て育った私の父、2代目丹羽勇は、安全ピンと言う手のひらにのる小さなものだからこそ、生産性と精度が要求されることを痛感し、いち早く工場の自動化・コンピューター化を導入しました。
今からでは、およそ考えられないくらいのハイリスクな決断だったと思います。

「どうせやるなら世界最高品質のものを作りたい」という父や、その当時の社員の熱い思いが次の一歩を踏み出すエネルギーになったのだと思います。 大正、昭和、平成、令和… と時代は移り変わり、ビジネスの形態は、更にグローバル化・情報化へと進化し続けています。

弊社の取扱う製品も安全ピン、 クリップそしてホビーへと、お客様の声を「訊き」ながら開発・提供を続けています。
独自の一貫体制の下、作りだされる製品一つ一つが 世界を舞台に果敢に挑む戦士です。
半世紀以上も前、この業界の世界一を目指し、FA化に取組んだ先代達の志は、まさに当社の礎と言えます。
その教えを忘れることなく、変化を恐れず、絶え間ない企業努力とモノづくりにかける情熱でトップレベルの品質をこれからも追求し続けます。

代表取締役  丹羽 英樹